小さい頃から、生花か造花かを遠目でもすぐ見分けることが出来ます。
そんなことかという人もいるかと思うけど、分らない人は全然分らないんです。
昔働いていた職場の先輩がレプリカの観葉植物に毎日水をあげていたのをみて衝撃を受けたものです。
とてもよくできた物でもちょっとみればすぐ分ります。
それはなんとなく発するオーラみたいなものが、『わたしは生きてるよ~』っていっていて、それに気付く人間と、気づかない人間がいるみたいです。
そして、それが分かる私は選ばれし者で、大人になったら何かの使命を果たさねばならないんだという決意を胸に秘めていました。
飼っていた鶏の言葉が分かるとか、地球が助けを呼んでいるとかわめいて親を心配させました。
でも、木が教えてくれるというのは、迷信とかでなく本当にあるんだと思います。
でもなぜか盆栽となると、そうはいかず….
日曜日は東京小品の例会。持参した木を持ち寄って、意見交換をすることができます。
どちらかというと優しい作りがよしとされる小品盆栽ですから、樹の状態をみて先の見通しをじっくりたてて、ようやく枝を1本切ってはまたあれこれと策を練ります。
樹が小さいぶん、何か気に入らないからといって1本でも安易に枝を切るとじわじわ枯れる。
いままで乱暴なことばかりしてきたから、樹に嫌われるかもしれないな。
さらに帰省して帰ってきたら、すっかり葉が黄色くなってた連山檜。
これはただの冬支度じゃなくて、枯れてるんじゃないか。枝は生気がないような気はしないけど….
も~わからんっ
『木が教えてくれる』ようになるにはまだまだ勉強が足りませんです。
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